「昨日までは何かに追われていた・・・一体何に追われて息を吸うことすら忘れていたのだろう・・・風になびく椰子。白い砂。蒼い空と海。静かに刻まれる『時』・・・」
アルバムの音とともに届いた、「UBUD」からの「Peaceful Noon」に寄せたコンセプトコピーである。
あーほんとに。こと東京という街にいると、この「何かに追われる」感がペッタリと背中にはりついている人をよく見かけるような気がする。
ゆえに私たちは旅に出る。感情や思考をリセットし、ココロが初期化される場所を求めて彷徨ってみる。
楽園は遠いのだろうか・・・いや、けっしてそうではない。
シンセの音はこんなにもまろやかで。ガムランのいっさい無駄のない調べと動じず、昂ぶらずからまりあう。
喜怒哀楽。激しさ。せつなさ。そんなエモーショナルな振幅は刺激せずにそっとしておいてほしい。楽園において、心の揺れは必要ないから。
ただただ、身をまかせ、音の移動とともに細胞が癒せればそれでいい。
「島のいたるところに垣間見る神々の彫像・・・古から人々を見守り、戒め、温かく、厳しく・・・穏やかで奥深いその神の化身は海からやってくる・・・」(Turtle Walk)
「UBUD」が創りだした無国籍でありながら、アジアンな楽園ワールド。それは地球のどこかにありそうで、そしてなさそうな唯一無二の場所。
そこでは音がコロコロと走り。泡がはじけるように散っていく。
ここちよい、「無」に帰してくれるリゾートの匂いが充満する。
「ゆったりとした時の中、まどろみ意識を洗浄する・・・曼荼羅の細部に入り込み永遠のミクロに墜ちていく・・・気づいたらプールサイドのチェア―ベッド・・・読みかけの文庫本が落ちていた」(Dreaming)
そう・・・意識の洗浄。
なにも考えず。なにも感じず。
これが相当にムズカシイからこそ、リゾートに抱かれたい欲求が募るのだけれど・・・目を閉じ、想像力もオフにして、音の空間移動に素直になすがまま身をゆだねてほしい。
「UBUD Dua」が運んでくれる未知なる楽園が・・・そこにきっと見つかるはずである。
上野まゆこ
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