聴覚を研ぎ澄まして、僧たちが唱える単調な音程の奥に潜むメロディ−を探しあてることから、
このプロジェクトははじまった。聴きようによっては音楽と取れないこともない読経もそれ自体では音楽とは見なされない。
しかし、そこにコンピュ−タ−・シンセサイザ−によるビ−トとコ−ドが合体されるとメロディ−が現れ、
UTTARA-KURUの音楽となる。UTTARA-KURUのサウンドが深遠で幻想的な印象をあたえるのは、
仏教の持つ宇宙観が僧侶の声に体現されているからかもしれない。
又、各楽曲に満ち溢れる力強さは、UTTARA-KURUの仏教に対するリスペクトによるものかもしれない。
UTTARA-KURUの音楽にとって、テクノ、ハウス、ニュ−エ−ジ、ワ−ルドミュ−ジックなどといった言葉によるジャンル分けは、
意味をなさない。彼等は、言葉では 表現しきれない感情や経験を表現する為に、
日本文化から引き継いだ伝統と向かい合い、シンセサイザ−と向かい合っているのだ。
UTTARA-KURUのファ−ストアルバム「祈」(PRAYER)は、聴く人の母国語がなんであるか、
文化的背景がどうであるかに関わらず、即対的で深い神聖な関係をリスナ−との間に構築してしまうであろう。