初めて沖縄の音楽に触れた人の多くに自ずと「哀感」を痛烈に感じた者がいたのではないかと思う。
通常我々が沖縄に対して抱いているイメージは燦燦と輝く太陽とエメラルド色を湛えた透明感溢れる海、
このふたつの光景に支配されているに違いない。
ならばどうして楽園の筈の沖縄の島唄に悲哀をも感じさせるものが多いのだろう?
この問いへの答えはやがて90歳になる僕の祖母と今まで交わした会話の中に散りばめられていた気がしてならないのである。
沖縄本島中部の農村地帯で育った祖母は幼少の頃の生活風景を回顧する時に必ずと言って良いくらい「あの時の沖縄は本当に貧乏だった」と嘆かんばかりに僕に言ったものだ。
薩摩による搾取、不作がもたらした飢饉、人身売買などの話を訊くと、
片時の安らぎを与えてくれた島唄は道理で悲哀と慰安に満ちたものばかりだったと納得が行くのだ。
我々がつい描きたくなってしまう楽園のイメージとは裏腹な生活背景が実は沖縄民謡の土台だったと、
高齢者の話を訊けばこう思わずにはいられないであろう。
然し同じ哀感でも灼熱の太陽の下に育まれただけあって、
沖縄の民謡には達観に似た逞しい前向きな姿勢が多分に伺う事も出来る。
鬱憤を炸裂させてくれる早弾きのカチャ―シーがその好例のひとつ。
そして琉球古典音楽に触れて痛感したのは恋をテーマにした作品が実に多い。
生活苦や理不尽な事から逃れるには恋愛が絶好の捌け口だったのだなと島の人達が抱いていた浪漫への憧憬が如何に強烈だったのか古典や民謡の数多くの作品が教えてくれる。
島の先人達が癒されたがごとく、このCDを聴かれた方も現世を暫し忘れる事が出来るよう切に望むところだ。