菅井えり。彼女の名前は知らなくても、彼女の歌声を聴いたことのある人は多いのではないでしょうか。アメリカン・ポップスに憧れ、教会音楽に強い影響を受け音楽の世界に入った彼女は、その透明感あふれる声質と音楽的才能により、これまで200曲以上のCM音楽を手掛け、CMクリエーター&ヴォーカリストとして国内で不動の地位を築いています。
1994年には、ソロ・アルバムをリリースし、又多くのアーティストに50曲以上の楽曲を提供するなどポップ・フィールドで活躍しています。
菅井えりとPACIFIC MOONとの出逢いは、「月 PACIFIC MOON VARIOUS ARTISTS III」です。このコンピレーション・アルバムで「A LULLABEY OF TAKEDA」「A SONG OF BIRTH」の2曲を提供した彼女は、その類稀なクリア・ヴォイスと一人多重録音による圧倒的なコーラス・サウンドにより各方面から高い評価を受けました。
人間の声には、人を感動させる力があります。有史以来、意思伝達の手段として「声」を使ってきた生き物の中で、唯一人間だけが「声」を使った音楽、即ち「歌」を芸術の域まで高めました。歌はおそらく最も早く発達した芸術であり、人々に最も愛され続けている音楽なのではないでしょうか。日本にも、古来から民謡、わらべ歌等いろいろな歌があります。しかし日本の唄には、いわゆるハーモニー(和声)と言う概念は無かったようで、独唱或いは斉唱といった形で歌われることが殆どだったようです。
このアルバムで菅井えりは、民謡などの日本旋律と教会音楽から派生した西洋音楽特有のハーモニー(和声)とを融合し、独特な世界を創り出しています。収録されている楽曲10曲の内8曲は彼女のオリジナルであり、他の2曲も含め全ての曲を菅井えり本人がアレンジしています。時には100チャンネルを越えるコーラスパートを一声々々積み重ね、シルクの布を織るように丹念に織り上げられたコーラス・サウンドは、繊細でなおかつ聴く者を包み込むような優しさに溢れています。
アルバム・タイトルにもなっている7曲目の「MAI」では、パーカッションのリズムに乗って歌われる民族的なコーラス・フレイズと透明感溢れるコーラスの絡み合いが、かがり火の中で繰り広げられる舞踏会のような妖しく幻想的なシーンを思い浮かばせます。この曲では間奏に笙(SHOU)を効果的に使っていますが、他の曲でも尺八、ケーナ、中国笛、筝などを取り入れ、東洋的で不思議な世界を描き出しています。
メロディー、コーラスからバック・トラックまで一音々々をイメージし、それをサウンドとして形にして行くという、気の遠くなるような作業をたった一人で成し遂げた菅井えりは、天才的クリエーターと呼ぶに相応しいアーティストの一人と言えるでしょう。
彼女のPACIFIC MOONでのファースト・アルバム「舞 MAI」を聴いていると、人間の声の持つエモーショナルな魅力と可能性の大きさ、感動の深さを改めて感じます。
そしてこのアルバムは、声の持つ奥深さを最大限に引き出した「ヒューマン・ヴォイス・アルバム」の最高傑作といえるでしょう。