南北に長い日本列島の最南端に位置する沖縄。東京 - 那覇、その間1.700キロ。那覇のある本島からさらに南に向かって宮古諸島、八重山諸島と弧を描くように美しい海に囲まれた亜熱帯の島々が続く。その数は160にも及んでいる。最も端の与那国島へ渡れば、台湾がもう目の前だ。
こんな言い方を許していただけるならば、沖縄は日本ではない。一つの独立した国と考えたい。余りにも本土とは違いすぎる。ウチナー(沖縄)の人々は、かつて琉球王国と呼ばれていた時代から自らの言葉・気候・風土・食・生活習慣などを大切にし育んできた。だからこそ、世界に発信し続けられる、誇るべき独自の伝統文化が現存する。まさしく沖縄は沖縄でしかない。
よく沖縄は“歌と芸能の宝庫”といわれる。人々の暮らしの中にも、ごく普通に歌や踊りが息づいている。昔から悲しいときも楽しいときも常に人々の傍らには島唄があった。勿論、恋をするときにも。そして今も、結婚した、子供が生まれた、家が建った、豊作・豊漁だ、先祖の供養といっては集い、泡盛(焼酎)を酌み交わしつつ三線(沖縄の三味線)片手に唄い踊る。三線を弾く手も速くなれば、誰からともなく掌を天に向けカチャーシー(速いリズムに合わせた即興の踊り)の始まりだ。つまらぬことは忘れ、明日の幸せを願わずにはいられない至福のひとときでもある。その輪の中には、必ずオジー(おじさん)やオバー(おばさん)の元気な姿がある。沖縄が長寿日本一いや世界一といわれるのも島唄と共に生きているお陰なのかも知れない。連綿と唄い継がれてきた島唄すなわち沖縄民謡からは、強く優しく生きる沖縄の人たちの魂までもが感じられるのだ。
1990年頃から沖縄音楽も一つのブームとなり伝統的な民謡をベースにしたポップな音楽作りで聞かせる新世代のオキナワン・アーチストが数多く登場し始め、若者達の人気を集めている。欧米のポップスにはない独特かつ新鮮なサウンドが受けているようだ。また、沖縄音楽の洗礼を受けたと語るミュージシャンも国内外を問わず、決して少なくない。
今、皆さんの耳に届いているこの“ISLAND”も、「ド・ミ・ファ・ソ・シ」の沖縄音階にアンビエントなサウンドが絶妙に絡んでいく全く新しい音世界だ。“ISLAND”には、いづれも美しいメロディー
を持ち沖縄では良く知られる3つのヴォーカルナンバーが収められている。“てぃんさぐぬ花(鳳仙花)”は「鳳仙花の色は爪先に染め、親の言うことは心に染めなさい」と唄われる教訓の歌。「月
の美しいのは十三夜、乙女の美しさは十七才」と唄う“月ぬ美しゃ”は、八重山に伝わる子守歌。元々、豊年を祈願する祭り歌だったのが、何時しか童歌として親しまれるようになった。“赤田首里殿内”
詞を英語に変えて歌っているのが、ソウルフルなポップスを得意とするペニーこと当山ひとみ。情緒溢れるウチナーグチ(沖縄語)を聞かせるのは具志堅京子。聞いてのとうり具志堅さんはプロの民謡歌手だ。しかし、彼女はと豊見城でそば屋を切り盛りする女将でもある。興が乗ればおそば屋さんが客と一緒に唄い踊り出す。彼女にとっても島唄は特別に飾ったものでなく、やはり日々の暮らしの一部に他ならない。美味しい沖縄ソバを食しながら女将の島唄に酔いカチャーシーするも、また沖縄流悦楽のひとつであろう。
沖縄の方言では“南風”を“フェーヌカジ”という。“ISLAND”が運んでくれる優しく暖かいフェーヌカジに身を委ねれば、きっと、ゆったりと流れる沖縄の悠久の時の流れをも感じていただけることでしょう。